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2006年08月07日

それぞれの戦後

原水禁大会に参加した娘を迎えにいくと、近所の支持者の方もバスから降りて来られたので一緒に帰ってきました。70代後半のその方は、初めて原水禁大会に参加されたのですが、長崎の稲佐で被爆されています。そのときの話を始めてお聞きしました。学校をさぼって家にいたから、ゆるい放射線を浴びただけで家も傾いたけど大丈夫だったこと。友達も先生も真っ黒焦げになって死んでしまったことを語られました。そして、その後小学校に上がる息子さんを小児がんで亡くされたことも語られました。「ランドセルも机も用意したのに一度も学校に行くことなく死んでしまった」と淡々と言われました。最近読んだ本で、「被爆者の方は、自分の健康だけでなく、子どもや孫の健康も心配しながら生きている」と書いていましたが、その方の話をつらい気持ちで伺いました。被爆者の方が、それぞれのつらい思いを持ち続けて、戦後60年以上を生きてきた事を改めて知りました。その方は、原水禁大会の会場で原爆症認定訴訟の勝訴を聞き会場が沸いたとうれしそうに話され、自分もそのたたかいに加わりたいとおっしゃっていました。来年の原水禁大会には一緒に行こうと約束をして別れました。

投稿者 :kanazawa  |  2006年08月07日 06:23

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