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2006年08月30日

夏休みに済洲島にて

この3日間、遅い夏休みをもらって、昨年亡くなった義父の故郷済洲島を家族5人で訪れました。義父は、済洲島4・3事件のとき危機一髪で、船で日本へ逃げ、そのまま日本で住み続けました。4・3事件とは、1948年、済洲島で南だけの単独政権に反対して武装蜂起が勃発し、武力鎮圧の過程で、3万人を超える島民が犠牲になった事件です。とりわけ、知識人の男性が被害に合い、村によっては男性がすべて殺された地域もあるそうです。韓国では、この事件を「共産党暴動」という烙印を押し、長く語られることがなかったそうです。義父も、幼い5人の子どもたちを残して、長く故郷に帰ることもままならず、日本で結婚し生活し続けました。亡くなる前に、一度だけ故郷に帰りましたが、故郷がどんなにか恋しかったことでしょう。義父のお墓は海の見える丘にあり、親族の墓が3つも並んでいました。義父の育った家、村なども初めて見ました。済洲島で暮らしている義兄が島を案内してくれて、自然の豊富な済洲島の海や洞窟を観光しました。観光しながら、戦後南北が分断され、その上に4・3事件のような悲劇が起こった、済洲島の事実を知っている観光客がどれほどいるだろうかと考えながら、生きているときほとんど自分が日本に来た訳を話さなかった、義父の心の悲しみの一端に触れた思いがしました。孫たちにいつもやさしいかったおじいちゃんの故郷を見て、子どもたちもいろんなことを感じ取ったことだと思います。帰りのバスの中で、ガイドさんが「済洲島は4・3事件と朝鮮戦争で男性が亡くなり、未亡人の島と言われていた」と話してくれたことが、この島の悲しい歴史を物語っていました。悲しい歴史を繰り返してはならないという思いを強くした旅でもありました。

投稿者 :kanazawa  |  2006年08月30日 22:13

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